利用されるなら、私の望む方向で。
小さい頃、幼稚園から中学校までの間に、ほぼ2年周期で転校していて、いわゆる幼なじみというものがいなかった。
10歳違いの妹が生まれるまで一人っ子だったし、生まれてからも、年が違いすぎていっしょに遊ぶってことがなく、高校卒業で家を出るまで一人っ子みたいなものだった。
自分の感覚としては、それをネガティブに受け止めていて、誰もが持っている大切な何かが、自分にはない、というふうにずっと感じてきた。人間関係の面で自分はなにかが足りないに違いないというふうに。
結婚後も、誰一人知り合いのいない今の場所に子連れで引っ越したので、41歳で突然収入がゼロになって働かなくちゃいけなくなったときも、実際、相談する相手もほとんどいなかった。
その後、フリーランスでWEB制作を始めたあとも、当然、仕事をもらわなくちゃいけないので、人脈作りは必須だった。
折しも、世の中にmixiというものが流行して、直接の知り合いでなくても、友だちの友だち、という形で交流ができるようになったし、いろんなイベントの情報も手に入りやすくなって、自分でも勉強会を主催するようにもなった。
この頃の私を見て、IKUKOさんはネットワークの人だねって言ってくれる人もいたけど、厳密にいえば、私は人を集めるのが好きなわけじゃなく、なんでもいいから人を集めてパーティーしたい、というタイプでは全然ない。
ただ、生きるのに必要だから、仕事に役立つ情報を収集するために知り合いを増やしていただけ。
知り合いがひとりもいない場所で、誰かと知り合いたいと思ったら、自分から外に出るしかないし、ちょっとでも知り合ったら、ご縁をつないでおきたい。というところに、facebookはピタリとはまって、facebookで友だちになっておけば、頻繁に会ったり挨拶したりしなくても、うっすらとつながりを保っておける。
こんなありがたいものはない。
という、私のようなニーズが世の中にいっぱいあるから、facebookはここまで流行したのだと思う。
ところが、
もう10年以上サポートしているはずのKは、そのことがまったく分かっていなくて、人なんて何もしなくても現れるし、放っておけば誰か自分の面倒を見てくれると思ってる。
本当にそういう人生を歩んできたからだ。
小さい頃は家業がガソリンスタンドで、兄弟は5人。
いつもまわりに人がいて、頼めばなんでもしてくれたし、末っ子で姉が3人もいるので、何も頼まなくても誰かが世話してくれる状態だった。
むしろ、自分で何かしようとすると、制止されたらしい。
外へ行っちゃだめ。
汚いものに触っちゃだめ。
あれもダメこれもダメ。
一人っ子の転校生で、自分で開拓しなかったら誰も何も教えてくれない状況で育ったわたしとは真逆。
そういう小さい頃の環境は、パーソナリティの形成の影響するので、Kは大人になっても人間関係には恵まれていて、就職すれば面倒をみてくれる先輩に出会い、起業すれば、応援してくれる取引先に出会い、常に年長者にはかわいがられてきた。
うつ病で外に出られなくなったといえば、4歳も年下の専業主婦の私が、髪の毛を振り乱して必死に働き、彼が筆文字作家として売り出すサポートまでしてくれた。
このまま放っておけば、こいつが勝手になんでもやってくれるだろう。
と考えるのが、まあ、当然なのかもしれない。
いままで本当に、ひとりで放置されたことがないんだから。
今だって、私がギブアップして家を出たら、すぐに他の誰かが彼を助けると思う。
「ひどいよね、IKUKOさんって。Kさんを放り出して出て行っちゃうなんて」
「なにか手伝おうか?」
「私がIKUKOさんに意見してあげようか?いままで誰のおかげで生活できたと思ってるの?恩を仇で返すつもり?って」
恐ろしいことに、ほんとうに、そういう話になってしまうんだ。
Kの言い分を鵜呑みにしていると、ほんとうに、ひどい元妻に虐待されたかのような受け取り方をしてしまう。
Kは、わざと作り話をするような人ではないけど、自分に同情が集まるような話し方を自然にやってのける技がある。
それはもう天才的で、嘘をついてるわけじゃないので、ほぼ誰も見抜けない。
私だけが、先方と話しをすると、あまり事実誤認をしているので、「ああ、そうか」と、Kが話にフィルターをかけて、すこしずつゆがませているっていうことに気づくのだ。
たぶん、本人も気づいてない。
彼はほんとうにそう思ってる。
いつも、私に責められているとか。自分はかわいそうなんだとか。
身体だけ大人になった、中身が子どものままの人だ。
新しい知り合いをまったく増やそうとしない。そういう努力をしない。
人なんていくらでも湧いて出てくるとたかをくくっているとしか私には思えない。
その結果、いつまでたっても新しい支援者が増えない。
それぞれ人には、考えられないような特技があって、Kの場合は、そのときそのときで、近くにいる誰かをうまく利用して、世話させるのが技なのだ。むしろ、自分からどんどん動いたりしたら、世話する人が「もう私は必要ないね」とか言って消えてしまう恐怖があるんじゃないかとさえ思う。
私は一人っ子の転校生で、人間関係が希薄であったために、そうやって自分が利用されてることに気づくのが遅かった。
今はもう気づいたので、気づいてる側の特権として、それを逆に利用して、利益を得ていきたいと考えている。
と同時に、人に利用されるのが社会で生きる上で避けられないことだとしたら、もうちょっと違う形で、私自身が楽しんで、幸せで、成功していけることで、誰かに利用してもらうようになりたい。
私の願いは、この一件から足を洗い、次なる展開でもって、大きな成功を達成すること。もうその準備は始まっている。私の視線がそういう未来を捕捉しているから。