新しい私。本来の私。
近所のスーパーでパートを始めて10日が過ぎた。
若い頃というか、ほんの少し前まで、パートなんか出たら負けって思ってた。
フルタイムで働いても10万そこそこの給料で、どうしてそんなこと、と思った。
どうせ働くなら、がっつり儲かるか、あるいは儲かる可能性があるんじゃなかったらやる意味がないと思った。
だから41歳のときから、経験もないのに個人事業を始めて、2007年からは会社まで作ったけど、目的がお金だけでは、幸せになれないと気がついたのが、ようやく今年。
パートに出たのは、今までやっていた仕事を辞めるためだ。
今年の3月に社長を退任して、仕事は辞めれたはずなのに、相変わらず、私が指揮を執らないと何も進まず、すべてのお金の管理まで私の仕事のままで、要するになにひとつ変わらなかった。
それで、6月末に、某コンクールに応募する小説を書き上げると同時に、家を出た。
とにかく元夫の仕事には一切、かかわりたくなかった。
1ヶ月、実家にいて、一切の支払も、一切の企画も、とにかくなにもせずに暮らした。
先行きの不安と、毎日の退屈さはあったけど、自分でも驚くくらい、元夫の仕事のことをまったく考えなかったし、思い出しもしなかった。
私はほんとうにほんとうに、彼自身にも、その仕事にも、興味がないんだと、あらためて確認した。
それで、毎日することがないので、kindleで海外ドラマを見たり、YouTubeで音声動画を聞いていた。
「奇跡のコース」「セスブック」などの、古いスピリチュアル系の本の朗読を毎日毎日、繰り返し聞いていた。
そうして、今までの自分の人生をリセットしていった。
まわりは私のことを、今までの私としてしか見ないだろうけど、だからといって私自身まで、そのように過去の自分のままの自分を生きなくちゃならないっていうことは、ない。
私はいつでも、今すぐに、新しい自分を生き始めることができる。
そうして違う自分になったことを、他人に言い訳する必要もない。
なぜなら、誤解していたのは向こうだからだ。
そんなこと、つまり他人が私をどう思うかなんてことよりも、自分が自分をどう愛するかのほうが、大切なのだ。
私は、仕事というのはお金を儲けるためにするものだと思い、そこに楽しみとか生きがいとかを感じていなくても、それはしかたがないことだと思って我慢していた。
でもそれは間違いだった。
自分が楽しめない仕事で、他人が楽しむはずがないのだ。
それに、私がそうして、自分の能力を超えるようなことまで、必死になって勉強して、考えて、実行しようとして、120%がんばることで、得をしたのは元夫で、彼は、自分がやらなくてもIKUKOがやるからいいって、ずっと思っていたに違いない。
なぜ私の人生がこんなにもつらいのか。
それは、背負う必要のない他人の責任まで背負っているからで、
ではなぜそんな、他人の責任まで背負うのかというと、自己評価がめちゃくちゃ低くて、自分には価値がない、人生がこんなふうなのは私のせいだ、私に悪いところや欠けているところがあるからだといつも不足感・罪悪感を感じてて、だから元夫は私に向かって「○○ができないんだ」「○○がうまくいかない」と愚痴るだけで、私が「それは私がカバーしなくては」「私のやりかたがまずいからそうなるんだろうか」と必死になって走らせることができたのだ。
そうして、人は人を利用して生きているんだろう、きっと。
でも私は、自分が望まないことについて、そんなふうに責任を背負って走るのはやめた。
もう二度と、その暮らしには戻らない。
世界が崩壊したとしても、私のせいじゃない。
私は、世界が崩壊したら大変だって思って生きてたようなものだけど、私自身の世界が崩壊しているのに、それについて責任をとってくれる人は誰もいないのだ。
当然のことだ。だってそれは私の人生だから、他人にはどうしようもないんだから。
だから私は自分の人生に責任をとらないといけない。
自分が望むことをして、望まないことはやめて、それについて他人がどう言おうと、断固排除しないといけない。
なんでも望み通りになるわけじゃないとしても、少しでもそれに近づくように、戦わないといけない。
それが私の唯一の義務で、それはこの世界に生まれてきたことへの感謝の表現でもあるのだ。
それで、私は、実家からこの家に戻ってきたけれど、パート勤めに出て、自分のお金を稼ぐことにした。他の誰かのためには働かない。私は私のために働く。
この状態がずっと続くことはないけど、常にこのように、自分の時間の使い方は自分で選ぶということは変わらない。
もう二度と、他人にタダで利用されるようなことはない。
振り返ると、今までの自分がどれだけ無理・無茶をしていたかよく分かる。
やりたくもないことをやりたいと言い、
好きでもないことを好きですと言っていた。
そうしないと仕事がもらえないとか、お金が稼げないと思って、心にもないことを言っていたけれども、それが偽りだということに気づいてすらいなかった。
自分で自分の本音を見ないようにしていたし、当時は自分の本音なんかより、売上のほうが大事って思っていたんだ。
でも神様のおかげか、その売上も下がってしまい、それでようやく私は目が覚めた。
今までの売上は、自分のがんばりの結果だって思ってたけどそうじゃない。
それ自体、神様あるいは宇宙からのギフトだったんだって。
それが減ってきたのは私への罰じゃなくて、ご褒美。
もう目覚めていいよ、という私への合図、私にしか受け取れない特別な通行証のようなものだったんだと。
そういうわけで、探したらパートの勤め先が見つかったのも、なにかの導きに違いないので、あと数年、最後のご褒美として、いろんな責任から解放されて、楽しく暮らす。
売上とか将来設計の責任を負わされない仕事は楽しい。
やりかたを知らないのに、やらなくちゃいけないような仕事はもう二度とごめんだ。